<ホクレア号 航海プロジェクト>
2006年9月27日
日本航海の目的
日本とハワイとの関係はハワイ王朝の時代にさかのぼります。
多くの日本人がハワイに開拓移民として移住、日本の文化とハワイ古来のものを融合させ、食、ファッション、芸術など、独自の文化を創りあげてきました。
ナイノアも日本の影響を受けた一人であり、幼い頃に日系人のカワノ・ヨシオ氏に海についての様々な知識について教えを受けたことが現在のナイノアの活動につながっているといわれています。
今回のホクレア号日本航海は、そんな日本への恩返しでもあり、ポリネシアに伝わる伝統航海術を通して、現代に生きる我々に対して、一度自然を敬い、共存する知恵と勇気伝えるという思いがこめられています。
1924年のハワイ日本人人口(出身県別)
広島 30,534
山口 25,787
熊本 19,551
沖縄 16,536
福岡 7,563
スケジュール・寄港地
2007年1月6日(土)ハワイ出港
2007年4月上旬〜5月中旬 日本寄港予定
ハワイ→マジュロ→ポナペ→トラック→サタワル→ヤップ→パラオ→沖縄→熊本→長崎→福岡→山口→広島→愛媛→横浜
航行距離:7,140マイル(約11,500キロ)
ハワイ州観光局
ナイノア・トンプソンより
那覇をはじめとして、ハワイの過去と将来にとって大きな意味をもつ日本の8つの港を訪れる予定です。
日本からハワイへ最初に移民した人たちが、日本を出港するときの出た港へ寄る予定です。
そうした初期の移民の皆さんへの敬意を表すものです。
ハワイを故郷と呼ぶ5世代にわたる日経住民と我々の子供たちとの絆をよりいっそう深めたいのです。そして、異なる文化に関心を寄せ、守り、伝える一役を担うことができれば幸いです。
2006年9月27日 紅林 敏明
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ホクレア号
ハワイ人のアイデンティティの象徴へ
古代式の外海航海術を駆使して、太平洋に散在する島々にたどり着き、定住を始めたというポリネシア人起源・拡散説。その科学的な立証を主な目的に建造された古代式の航海カヌーが「ホクレア号」です。ハワイ語で“喜びの星(Hokule'a)”と名づけられたこの航海カヌーは、古代ポリネシア人がハワイ諸島を発見した当時の形状を模し、天体を読み、波や風を感じ、海洋生物と語り合う、伝統的な航海術“スターナビゲーション”によって針路を決定します。1976年のハワイからタヒチへの初航海以降、現在までの航路距離数は10万マイルを超えました。そして、この30年間の航海の実績は、ハワイ社会の西洋化によって忘れかけられていたポリネシアの文化とアイデンティティ復興の象徴ともなっているのです。
全長 62フィート4インチ(約19メートル)
全幅 17フィート6インチ(約5.3メートル)
水線長 54フィート(約16.5メートル)
帆面積 540平方フィート(約50平方メートル)
喫水 2フィート6インチ(約76センチメートル)
進水 1975年3月8日 クアロア公園(オアフ島)
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