<<荒木 汰久治 モロカイホェ チャレンジレポート>>
今回の大会は前にも書いたとおりクルーの突然のキャンセルの連続で幾度となく諦めかけることがあったくらい人数調整が困難だった。6人乗りアウトリガーカヌーは一人では漕げない。毎朝5時半からトレーニングを重ねてきた我々に、九州・本州から仲間たちが合流。彼らは急遽助っ人として加わった。新メンバーは皆一人一人凄い実績の持ち主だった。しかし川や湖で漕ぐ人間にいきなりの海は難しい。四方八方から押し寄せる波に翻弄され、カヌーから飛び降りたり、よじ登ったり、外洋でのウォーターチェンジはなかなかうまくいかなかった。ハワイでの合同生活は毎日繰り返される。当然クルーにもストレスがかかる。60キロの海峡を横断する1週間前。何とか本場での失敗をしないよう大声を出しクルーを厳しく指導する自分がいた。
「このままでは荒れたモロカイの海ではチェンジはできない。一体どうすればいいのだろう。。」
レースの直前にナイノアが地元フイナルチームの舵取りがいないということで急遽自分が日本チームのステアをすることに。正直、舵を取ることよりも海に飛び込んだ後一列に並ぶ事。そしてカヌーに乗り遅れたクルーが海に取り残される事が心配だった。5月の個人レースOC1モロカイでは自分のことだけを心配すればいいのだが今回は違う。9人のクルー全員が息を合わせ、気持ちを1つにして目に見えない島を目指す。誰一人として乗り遅れ海に消える事は許されない。生きるか死ぬか。その位真剣に海と向き合いそして対話することが求められるこのレースに人生をかけて挑戦してるからこそ、我々OCCJは毎年確実に結果を残し続けてきた。
友人宅のガレージを洗剤で洗い、たわしで磨き、雑巾で吹き寝床を確保。これまでホテルに宿泊していた我々はチームの結束のために寝袋での共同生活を選んだ。当然シャワーは外の蛇口からの真水。世界選手権前のアスリートが野宿するなんて聞いたこともないかもしれないが我々はそう思っていない。もともとこの海峡を人間が渡るレースが存在すること自体が珍しいのだから。
あるとき飲み仲間同士で酒の勢いで「あの島まで漕いで行ってみよう」という話からたった2チームで始まったこのモロカイホェ。当初は選手がスタート地点に野宿して朝を待ち、朝日と共にスタートしたらしい。海人丸航海の時と全く同じ。翌朝日が出たら出航だ。海を渡る競争はあくまでもスポーツ化した現代の形である。チームごとに伴走船が義務付けされ安全体制を確保したうえで順位を競うが、本来航海とは誰が一番早いかを競うものではなく安全に確実に島に辿り付く事が一番の目的。それは新しい人との繋がりや文化・習慣との出会い、美味しい食べ物や酒を口にすることにこの上ない喜びを感じたり、今まで見たこともないような新鮮な発見を求めて人は海に出ることに気付くということ。
今では世界中のアウトリガーパドラーの聖地となったモロカイで一人の人間が亡くなっている。エディ・アイカウ。詳しくはモロカイ島とラナイ島の間でおこったホクレアの沈没事故。水面を漂いながら救助を待つホクレア号。でも現代器具を持たない古代航海カヌーは事故事実を伝達することすらできない。数日が過ぎクルーの体力が底を尽きそうになった究極の状況でエディは一人、島を目指し漕いで救助を求めに行った。98年、初めて自分が日本人でたった一人モロカイを漕ぎきった年。その場でジェイクと会いエディの話を聞いた。帰国後、翌年のレースに仲間達を誘ったが「そんな辛いレースは遠慮するよ。。」と誰一人としてモロカイを渡る勇気を持つ日本人はいなかった。翌年5月、2度目の個人レース後にジェクから6人乗りカヌーのレースであればハードルが低い(選手交代があり距離が短いという意味で決して楽というわけではない)と聞き、OCCJを結成した。それが日本人で初めてモロカイホェを制覇した年だった。
その後、OC1,OC6に続き8月のパドルボードレースにも挑戦。潮目に挟まり8時間に及ぶ死闘の結果失格した翌04年、自分はついにパドルボードモロカイレースの表彰台に立った。体の小さい日本人が世界のアスリートと互角に戦える事を身をもって証明した瞬間だった。年に3回のモロカイ横断を繰り返していくと次第と自分の中にも変化が現れた。不思議な事にレース以外の目的で海を渡る事に対する気持ちが自分の中で強くなり続ける。日韓海峡を横断し、サバニ航海を実践した。海人丸の航海はモロカイがきっかけであり、EXPEDITION航海の経験は全てモロカイの結果へと還元された。ホクレアの実践トレーニングもスターナビゲーションへのステップアップも自然と1つの繋がりの中で新しい発想と共に生まれた夢だった。
今回のレースも引き潮に向かってオアフ島から一気に海流が逆流する大変難しいコンディション。はじめから舵取りの技量が試されることがわかっていた。それだけに伊藤、竹田、伊東に加えナイノアの突然のキャンセルで自分の不安は爆発した。自分とブレッド以外は全てモロカイを初めて経験する若いパドラーで全てが受身となる。だからこそ合同生活、ウォーターチェンジトレーニングの徹底を追及した。レース前日カヌーを組み立てる自分の精神的ストレスは計り知れなかった。自分のことで精一杯で、不安そうなクルーの表情を見ながらどうすれば落ちつかせてあげられるか考える余裕もなかった。キャプテンとして自分の心に余裕がもてなかったのは、あまりにも苦しいかったこれまでの日々のストレスでもモロカイに出るという決断をしたからだろう。クルー一人一人が自分と向き合い、自分を乗り越えようと挑戦していた。相手はモロカイではなく他のチームでもない。全て自分の弱さを受け入れ、心の壁を乗り越える。自分自身との戦いなのだ。スタート地点は聖地であり独特の空気が流れている。そして我々は戦場へと漕ぎ出していく。
5時間40分。108チーム中34位。今の我々OCCJがモロカイホェで最高のパフォーマンスを結果に出した。全てのウォーターチェンジはうまくいった。
モロカイの水は透き通りこの上なくきれいな世界を瞑想し続ける事ができる。迷ったら漕げば本来の姿を取り戻す事ができる。
これからも全力で漕ぎ続けるのみ。